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知らなかったフェラーリの社名の由来

ちょっと気になったのでフェラーリについて調べてみました。世界的に有名なスポーツカーと言えば、フェラーリを真っ先に連想する人も多いことでしょう。スポーツカーの代名詞的な存在であり、一度でも乗ってみたいと考える車好きもいるはずです。迫力のあるサウンドを放ちながら疾走する姿は、まさにエンブレムに掲げられている跳ね馬の如しであり、尚且つエレガントな佇まいまでも備える、芸術品とも言える車ではないでしょうか。

会社の歴史

世界のセレブやハリウッド俳優などからも人気が高く、日本でも多くの愛好者が存在しています。 抜群の知名度を誇り厚い支持も得ているフェラーリですが、そもそもなぜこの社名が付けられているのかを知らないという人もいることでしょう。一体どういった歴史を辿ってきたメーカーなのか、簡単に確認をしていきましょう。 はじめに社名についてですが、これは創始者であるエンツォ・フェラーリに由来しています。創始者の名前を取って会社名とするのは珍しいことではなく、日本でもトヨタやホンダ、スズキなどがそこに該当します。

創業者は優れたレーサーだった

エンツォ氏は元々、レーシングドライバーとレーシングチームのオーナーを務めていた人物で、根っからの車好きであったことを窺い知ることができます。実際、モータースポーツのコンストラクターでありながら、参戦を続けていたほどです。様々なレースで結果を残していることから、優れた乗り手であったことでも知られています。

会社設立後

会社として設立をされたのは1947年のことでした。第二次世界大戦の終結後、優秀なエンジン設計士をだきかかえ、1946年からレーシングカーの開発を行うようになると、翌年には会社が興されたという運びです。処女作からして優秀な車であり、自らの手で開催をしたグランプリに出場をし、優勝までもかっさらったことで、一躍有名なスポーツカーとして世にフェラーリの名前を知らしめました。なお、その時の車は125Sと呼ばれるものであり、丸みを帯びたロングノーズが特徴の一台です。当時からすでに洗練されたデザインで、フェラーリならではの高級感溢れるテイストは、現代の世の中でもファンを魅了しているほどです。

名声の影

ただ、スポーツカーとして今の地位に君臨するまでには紆余曲折もありました。過去には経営危機や他社による買収劇、エンツォ氏の死去による混乱など、決して平坦な道のりではなかったのです。しかし、現代でもスポーツカーの最前線に在ることからも分かるように、今なお魅力的なブランドとして君臨し続けています。

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イタリアローマの素敵な歴史

私の学んだことへの備忘録的な感じでブログを書いていきます。古代ローマの歴史は伝説からスタートしていて、ギリシャ神話のる双子の兄弟であるロムルスとレムスのうち、ロムルスによってローマが建国されました。ローマの名前はロムルスから由来していて、考古学的にこの地において人が居住したのは早く、紀元前8世紀の鉄器時代のものがパラティーノの丘で見つかっています。

ロムルスとレムス

ロムルスを初代に偉大なローマが誕生し、湿地帯で数千人の人が丘に分かれて住む村でした。次第に都市国家として整備が進んでいき、パラティーノやカンピドーリオの丘の間において、排水路などが造られるようになります。乾燥させて政治や経済の中心である公共施設になるフォノ・ロマーノを造ったり、カンピドーリオの丘にユピテル神殿を建てました。

共和制ローマ

ローマは世襲ではなくエトルリア人の王により支配されることでローマ市民が反発したことによって、共和政に移行していきます。共和政であるローマがシチリアを属州にする際ローマ帝国が誕生します。アウグストゥスは初代皇帝に即位し、共和政時代の伝統をいかしながら、元老院における議会を尊重する体制でした。アウグストゥスの時代において人口100万人ある当時世界最大の都市です。大競技場になるコロッセオを完成させたり、ローマの繁栄はニコメディアに遷都するまで維持されました。

衰亡の時代

ゲルマン民族の大移動が開始されると帝国は領土を脅かされ、東西に分裂することになります。その後東ゴート王国や東ローマ帝国、神聖ローマ帝国など支配者が代わっていきました。帝国の遺産を継ぐエリアや教皇庁を擁する場所として、文化都市の栄光は維持されています。

ルネサンスの暁光、現代へ

ローマは教皇領の首都になり、ルネサンス文化の中心地にもなっていきます。フィレンツェにおいて花開いたルネサンスでしたが、メディチ家が衰退すると芸術家はフィレンツェからローマへ移動していきました。教皇ニコラウス5世はルネサンス教皇と言われていて、ヴァチカン宮殿を装飾させます。有名な芸術家が活躍していてラファエロやミケランジェロ、ヴァチカン宮殿の工事を手掛けたブラマンテなどが活躍した時代です。16世紀末になると城壁の改修や宮殿の建設、教会の修復などが盛んにおこなわれていて、サンピエトロ大聖堂の屋根はこの頃完成しました。17世紀になるとバロック芸術が開花し、プロテスタントの宗教改革を受けるようになります。カラヴァッジョの絵画やベルニーニの彫刻、ニコラ・サルヴィのトレヴィの泉などこの時代に建築されようになり、現在多くの観光客が訪れているスポットなります。