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何でも鑑定団を見て思った。有田焼って何?

タイトルの通り何でも鑑定団を見ていて思いました。有田焼って何なんでしょうか?そもそも磁器の名称と同名の佐賀県の有田町や周辺で手がけられている磁器を有田焼と呼び、有田焼の歴史が始まったのは17世紀まで遡ります。

最古の焼き物

国内に様々な磁器が存在している中で最も古い有田焼は、17世紀に入って間もない頃に朝鮮にて陶磁に関して精通していた人物が山にて磁器を生み出すための原材料の陶石を見つけ出した事がきっかけで、国内において初めて磁器が手がけられた歴史を有しています。

海を渡った古伊万里

有田は港を有していないが故に、伊万里港にて出荷が行われていて伊万里焼と呼ばれる事もありますが各時代によって呼ばれ方には差異があり、明治時代を過ぎてから手がけられた物は有田焼と呼ばれるのに対し、明治時代以前の物は伊万里焼もしくは古伊万里と呼ばれる上に各々が独立して広まっています。

有田焼三様式

さらに3つに細分化されているのも有田焼の特徴で、1610年から1650年までの初期段階で手がけられた初期伊万里は素地の厚みが取り分けて厚い上に、単色が多様されていて素朴な印象です。 そのように単色が多様されていた様子は次第に変化していき、陶磁器のために作られた絵の具を活用して色とりどりの色が表現されていますし、当時著しく画期的であると評されたのはもちろん今日でも変わらない高い支持を得ています。

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気になったのでパスタの種類とパスタの歴史を調べてみました

パスタは一般的にスパゲティを思い浮かべますが、実際にはパスタの種類は大変多く、料理によって使われる種類が異なります。パスタは本来小麦粉と水で作られており、パスタの歴史は大変古く、古代ローマ時代に造られていたとされています。ただし古代ローマ時代のパスタはただ単に小麦粉と水で練って焼いたものを切っているので、現在のパスタとは触感や形状が異なっています。

乾燥パスタの発明

その後時代の流れとともにパスタ自体も進化をしていき、生のものから乾燥したものが登場し、今では保存がきく食材として有名になりました。乾燥のものは諸説ありますが、12世紀にイタリア国内のシチリアで作られており、世界中にイタリア料理として知られるようになったのは1492年コロンブスがアメリカ大陸を発見したことがきっかけとなっています。日本では明治16年頃にフランス人の―宣教師によってマカロニの製造が始まり、第二次世界大戦後に一般的な食品として行きわたるようになりました。

パスタの種類

パスタの種類には良くみられるスパゲティ、スパゲッティよりも細いスパゲッティーニやカッペリーニがまずあげられます。どちらも長めのものであり、イタリア語では細いひもを意味します。トマトソースや和風など様々な味になじみ、食感も良いことから多くの人に受け入れられています。 この他のパスタの種類は、きしめんのように太いタッリアテッレ、マカロニでありながら長いツィーティやブカティーニがあります。。

まだまだいろんなパスタがあります

断面が正方形をしているのがキタッラであり、イタリア語ではギターを意味します。キッタラは19世紀には存在しており、子羊煮込みソースとともに食べることが多い種類です。 正方形ではなく楕円形をしているのがリングイーネ、ラザニアとも言われるラザーニエ、マカロニよりも太く大きな穴が開いているリガトーニがあります。リガトーニは8mmから15mmといった大きな穴が開いている短めのパスタになりますが、表面に筋が入っているのでソースとも良く絡み、味が薄くなることはありません。 リボンの形をしたかわいらしいものにはファルファッレ、らせん状にねじれているものにスピラーレ、車輪の形のようなルオーテがあります。どちらも日本ではサラダに使われることが多いのですが、濃いめのソースとも相性が良く、どのような料理にも合う万能パスタとして知られています。

イタリアンで良く見るニョッキ!

短めのパスタの元祖と言われているのがニョッキです。見た目が平べったいお団子のような形をしていますが、こぶを意味しています。今ではジャガイモと小麦粉で作られていますが、昔はパンと卵で作られていた珍しいパスタとなります。

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知らなかったフェラーリの社名の由来

ちょっと気になったのでフェラーリについて調べてみました。世界的に有名なスポーツカーと言えば、フェラーリを真っ先に連想する人も多いことでしょう。スポーツカーの代名詞的な存在であり、一度でも乗ってみたいと考える車好きもいるはずです。迫力のあるサウンドを放ちながら疾走する姿は、まさにエンブレムに掲げられている跳ね馬の如しであり、尚且つエレガントな佇まいまでも備える、芸術品とも言える車ではないでしょうか。

会社の歴史

世界のセレブやハリウッド俳優などからも人気が高く、日本でも多くの愛好者が存在しています。 抜群の知名度を誇り厚い支持も得ているフェラーリですが、そもそもなぜこの社名が付けられているのかを知らないという人もいることでしょう。一体どういった歴史を辿ってきたメーカーなのか、簡単に確認をしていきましょう。 はじめに社名についてですが、これは創始者であるエンツォ・フェラーリに由来しています。創始者の名前を取って会社名とするのは珍しいことではなく、日本でもトヨタやホンダ、スズキなどがそこに該当します。

創業者は優れたレーサーだった

エンツォ氏は元々、レーシングドライバーとレーシングチームのオーナーを務めていた人物で、根っからの車好きであったことを窺い知ることができます。実際、モータースポーツのコンストラクターでありながら、参戦を続けていたほどです。様々なレースで結果を残していることから、優れた乗り手であったことでも知られています。

会社設立後

会社として設立をされたのは1947年のことでした。第二次世界大戦の終結後、優秀なエンジン設計士をだきかかえ、1946年からレーシングカーの開発を行うようになると、翌年には会社が興されたという運びです。処女作からして優秀な車であり、自らの手で開催をしたグランプリに出場をし、優勝までもかっさらったことで、一躍有名なスポーツカーとして世にフェラーリの名前を知らしめました。なお、その時の車は125Sと呼ばれるものであり、丸みを帯びたロングノーズが特徴の一台です。当時からすでに洗練されたデザインで、フェラーリならではの高級感溢れるテイストは、現代の世の中でもファンを魅了しているほどです。

名声の影

ただ、スポーツカーとして今の地位に君臨するまでには紆余曲折もありました。過去には経営危機や他社による買収劇、エンツォ氏の死去による混乱など、決して平坦な道のりではなかったのです。しかし、現代でもスポーツカーの最前線に在ることからも分かるように、今なお魅力的なブランドとして君臨し続けています。

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イタリアローマの素敵な歴史

私の学んだことへの備忘録的な感じでブログを書いていきます。古代ローマの歴史は伝説からスタートしていて、ギリシャ神話のる双子の兄弟であるロムルスとレムスのうち、ロムルスによってローマが建国されました。ローマの名前はロムルスから由来していて、考古学的にこの地において人が居住したのは早く、紀元前8世紀の鉄器時代のものがパラティーノの丘で見つかっています。

ロムルスとレムス

ロムルスを初代に偉大なローマが誕生し、湿地帯で数千人の人が丘に分かれて住む村でした。次第に都市国家として整備が進んでいき、パラティーノやカンピドーリオの丘の間において、排水路などが造られるようになります。乾燥させて政治や経済の中心である公共施設になるフォノ・ロマーノを造ったり、カンピドーリオの丘にユピテル神殿を建てました。

共和制ローマ

ローマは世襲ではなくエトルリア人の王により支配されることでローマ市民が反発したことによって、共和政に移行していきます。共和政であるローマがシチリアを属州にする際ローマ帝国が誕生します。アウグストゥスは初代皇帝に即位し、共和政時代の伝統をいかしながら、元老院における議会を尊重する体制でした。アウグストゥスの時代において人口100万人ある当時世界最大の都市です。大競技場になるコロッセオを完成させたり、ローマの繁栄はニコメディアに遷都するまで維持されました。

衰亡の時代

ゲルマン民族の大移動が開始されると帝国は領土を脅かされ、東西に分裂することになります。その後東ゴート王国や東ローマ帝国、神聖ローマ帝国など支配者が代わっていきました。帝国の遺産を継ぐエリアや教皇庁を擁する場所として、文化都市の栄光は維持されています。

ルネサンスの暁光、現代へ

ローマは教皇領の首都になり、ルネサンス文化の中心地にもなっていきます。フィレンツェにおいて花開いたルネサンスでしたが、メディチ家が衰退すると芸術家はフィレンツェからローマへ移動していきました。教皇ニコラウス5世はルネサンス教皇と言われていて、ヴァチカン宮殿を装飾させます。有名な芸術家が活躍していてラファエロやミケランジェロ、ヴァチカン宮殿の工事を手掛けたブラマンテなどが活躍した時代です。16世紀末になると城壁の改修や宮殿の建設、教会の修復などが盛んにおこなわれていて、サンピエトロ大聖堂の屋根はこの頃完成しました。17世紀になるとバロック芸術が開花し、プロテスタントの宗教改革を受けるようになります。カラヴァッジョの絵画やベルニーニの彫刻、ニコラ・サルヴィのトレヴィの泉などこの時代に建築されようになり、現在多くの観光客が訪れているスポットなります。